【挑戦する人たち】農業と吉原神楽、町づくりという3つのフィールドで活躍する男・佐藤勝明さんにインタビュー

■顔その②:”吉原神楽”の佐藤勝明

 

▼吉原神楽とは
昭和51年に国選択無形民俗文化財の指定を受けた伝統芸能。江戸時代後期に豊後地方から伝わり、いったん途絶え、明治27年に「吉原俚楽連中」として活動を再開。それ以降、「吉原神楽保存会」となり、地域住民の努力により120年以上続く。
毎年9月20日に吉原神社(南小国町)で開催される吉原大神宮大祭例大祭で、五穀豊穣と集落の安全を願い神楽を奉納。近年では、町内外のイベント等で神楽を披露するなど、吉原神楽のPR等も積極的に活動を行う。

― 世界農業遺産では、暮らしと共に受け継がれる伝統文化の保全も評価されました。古くから受け継がれる“吉原神楽”。勝明さんも幼い頃からやってきたんですよね?

そうそう。僕の場合は、やってきたと言うか、そこ(吉原)に住んでいたから、気付いたら幼い頃からやらされていた感じです。笑
本来は、吉原地区の長男しかできないという決まりがあったけど、僕らの子どもの時は、人数が足りなくなってきて、弟も混じってやっていました。

― 幼い頃の練習の様子、覚えていますか?

覚えてますね。その頃、年寄りの人たちみんな元気がよくて、(公演活動で)タイに行ったり、国選択無形民俗文化財に指定されたりして、とても盛んでした。
先生がいっぱいおって、みんな厳しかったですね。
真剣に教えてくれるのは嬉しいんだけど、先生によって言うことがちょこちょこ違うので、誰に師事していいかわからなかった。笑
理不尽過ぎて泣いたりしてましたね。
「さっき(向こうで)こう言われたけん、やったのに…」みたいな。笑

― それでもめげずによく頑張りましたね(笑)。Uターンしてからの復帰は、どうでしたか?

子どもの頃に基本的なことをずっとやらされてきたから、(練習が始まったら)身体が勝手に動く感じでした。
ただ、人が減ってしまって、活気がないなと思いました。
家業の農業にしろ、神楽にしろ、地域のことにしろ、自分が関わっているものがダメになっていくのは嫌で、どうせやるなら、充実したものにしたいと思いましたね。

― そこで、どんなアクションを起こしたのですか?

とにかく、人を増やすために、いろんなところに発信していかなければと思いました。なので、町づくりの会議に呼ばれた時に、神楽をどうにかしたいと提案してみたり、H.PやFacebookを立ち上げて情報発信したり。色々と取り組んでいくうちに、行政職員とか学校の先生とか別の地区の人たちとか、いろんな協力者が出始めて、吉原神楽保存会に参加してくれるようになりました。

― 地域の神事ごとって、本来なら地区の外に発信していくようなものではないですよね。

どんな事でも人がいないと続かない。ここの人たちだけでやるのは限界だと思いました。
その頃ちょうど南小国町で「日本で最も美しい村」の審査があって、地域の伝統文化の紹介ということで、神楽を舞ったり、郷土料理のふるまいをしたら、審査委員長はじめ、皆さんがえらく感動してくれました。
神楽自体は他の地域でも残っていると思いますが、この集落で代々伝わってきた“暮らし”そのものと、神楽という“文化”がセットで伝承されているということが評価に繋がりました。

― やはり、ここでも、第3者の目で評価されたことで、改めてその素晴らしさに気づくきっかけになったんですね。

その気持ちを地域の中でも外でもいろんな人たちに話していたら、共感してくれる人がいっぱい出てきて、その人たちがいろんな表現で更に広げていってくれました。

― 2015年には、なんと、ミラノ万博への遠征。また、都内クリエイターと地域住民によるプロジェクトが始動し、吉原神楽をモチーフにした映像作品”KUROKAWA WONDERLAND”の誕生など、一気に地域の外へ飛躍しましたね。

▼KUROKAWA WONDERLANDのH.Pはこちら。
https://kurokawawonderland.jp

(ミラノに行ったり、映像創ったりは)自分たちでしたいと思ってできることではない。
いろんな人たちに話して、共感してくれて、それぞれが発信していってくれたことによって、繋がりが出てきて、気付いたら話が進んでいました。
まわりの人たちが協力してくれたおかげで、結局、全てが自然と繋がっていった感じでした。
今でもその人たちには、感謝してもし尽くせません。

― 今では、メンバーの約半分が吉原地区外の人たちだとか。地区の方々の努力に加え、地区外の様々な人たちの協力によって”吉原神楽“が守られているんですね。

中の人たちもよその人たちも「伝統を守っていきたい」「やってみたい」という想いは一つ。
神楽だけでなく、祭りの準備や出店で協力してくれる人たち、見物に来てくれる人たち、それら全ての人たちが、みんな楽しみながらやってくれている。
“いい”と思ってくれる人たちがいて、自然と(文化の伝承が)続いていくこの形がすごくいいなって思います。

― おじいちゃんになるまでずっと続けたいですか?

やるのは嫌ではないけど、歳をとったら、神楽をやってる境内で、的屋でたこ焼きでも焼きながら、(後輩たちの演舞を見て)「あいつらまだまだやね」とか言いたいです。笑
別に無理して遺していかなければならないとは思っていなくて、中の人も外の人も、みんなが納得して同じ方向を向いて進んでいけるのが理想。
できるだけ、みんなが快く協力・参加してくれて、楽しんで取り組める体制がつくれるといいですね。

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