こんにちは、未来づくり拠点MOGです!
ここは『南小国町の未来をつくる数々の挑戦を育む場所』として、2019年5月、南小国町にオープンしたコワーキングスペース。
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第2弾は、①農家、②神楽の舞手、③町づくりプレーヤーと、共通点のなさそうな3つの異なる顔を持つバラエティー豊かな佐藤勝明さん。
一見、真面目で大人しそうな人かと思いきや…時にジョークを飛ばす一面もあり、とても人懐っこくユニークなお方!気になる”3つの顔”、早速見ていきましょう!
佐藤 勝明(さとう かつあき)
1978年生まれ。熊本県阿蘇郡南小国町満願寺出身。南小国中学卒業後、熊本農業高校 園芸果樹課に進学。高校卒業後、三重県の野菜茶業試験場(現 農研機構)に研修生として2年従事。その後、南小国町にUターンし、家業である農業(主に、米、ほうれん草、あか牛の繁殖)を継ぎ、阿蘇地域ならではの草原を活かした“循環型農業”に取り組む。休日は、子どもと運動をするのが楽しみな二児の父。好きな有名人は、江頭2:50とアントニオ猪木。
■顔その①:”農家”の佐藤勝明
― 勝明さん、今日は勝明さんの多岐に渡る“3つの顔”について、それぞれお話を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします!
よろしくお願いいたします。
― まずは、勝明さんの家族構成を教えてください。
南小国町の吉原で、両親と自分の家族(奥さんと子ども二人)と一緒に住んでいます。
― 勝明さんの生い立ちについて教えてください。どんな少年期でしたか?
今は廃校になってしまったけど、僕の通っていた星和小学校には、ここら辺では珍しくスケートリンクがあったので、冬はそこでよく遊んでましたね。あとはサッカーも。授業中には人を笑わせたりして、私語が多いとよく先生に注意されていました。笑
― ずいぶん、“やんちゃ”だったんですね!
はい。とにかく元気のいい子でした。笑
中学までは南小国にいて、高校からは、熊本農業高校の園芸果樹課に進学して寮生活を送っていました。
― その頃から既に家業を継ぐことを意識されていたんですね。高校卒業後、実家へ?
いえ。卒業後は研修生として2年間、三重県の野菜茶業試験場に行きました。
そこは、簡単に言うと、農業の研究機関なんですが、研修生として働きながら勉強ができて、農業に関する知識が増えたことも勿論ですが、いろんな人と出会えたのが大きくて、今でも行ってよかったと思っています。
― 一度外の味を知ってしまうと、故郷に帰ることに抵抗はなかったですか?
▲佐藤さんの所有する畑。11月のこの時期は稲刈りを終えたばかり。
それが逆に、学生時代に熊本市や三重県などに行って外を見て帰ってきたというのがよかったと思っています。一度外に出からこそ、今までと違う視点でこっち(南小国)を見つめ直すことができるようになりました。あのままずっと(南小国に)いたら、たぶん、途中で嫌になって出て行っていたと思います(笑)。
― そして、故郷にUターン。どんな生活が待っていましたか?
最初は親と揉めながらも仕事を覚えてこなしつつ、その中で、自分なりに規模拡大や収入の増加を目指してやってきました。ただ、そこでふと、既存の農業を受け継ぐだけじゃいかんなと思い始めたんです。
― 「受け継ぐだけじゃいかん」とは?
ただ農業やるだけじゃ、先細りするというか。自分なりに、ここで農業で生きていくためには、もっと視野を広くしていかなければならないと考えていた頃、“4Hクラブ”に誘われて、メンバーに加わりました。
― 4Hクラブとは?
地元の若手農業者の集まりで、全国に約850箇所に拠点があります。
農業経営者同志の情報交換や技術向上のための検討会を開いたり、消費者や他地域メンバーとの交流、地域ボランティア活動などを行ったりしているクラブです。
― 活動に参加してみてどうでしたか?
“4Hクラブ”や、その後新たに立ち上げた、南小国の若手農家で集まってつくった地域団体“百姓いっき”の活動を通して、町外のいろんなところにイベント出店で行ったり、面白い(農業の)取り組みをしている人たちと知り合ったり、たくさんのいい刺激をもらいました。
また、町内で開催されるお祭りにもどんどん出店して、とうもろこしを焼いて売ったり、朝市を開いたりしましたね。
そんな活動を続けていくうちに、「町の若い人たちの意見が聞きたい」と、色々な会議なんかにも呼ばれるようになりました。そこで、町の中でも接点のなかった人たちとも出会い、交流が増えて仲良くなっていきました。
― それらの活動を通じて、農業に加えて“町づくり”というエッセンスが加わっていったんですね。
これらの活動や町づくりに関わることで、町内外での販路も広がり、従来の”決まった取引先に出荷するだけ”だった農業のスタイルから、”自分でつくったものを自分で売れる”という、自分で売り先を探せるスタイルを見出すことができました。
昔からのやり方も守りつつ、新たなやり方も取り入れつつ、いろんな人と出会い、いろんな農業のあり方を勉強させてもらったおかげで、両方の視点が持てるようになりました。
そして、阿蘇の農業についても、改めてその可能性を実感しましたね。
― “阿蘇の農業の可能性”とは?
阿蘇だからこそできる、農業のやり方ですかね。
うちみたいに、牛を飼って、野菜をつくって、米もつくって。いわゆる“循環型農業”ってやつですね。
▼“循環型農業”とは?
【公式】阿蘇世界農業遺産「阿蘇の草原の維持と持続的農業」H.P1000年以上続く阿蘇ならではの伝統的農法。放牧、採草、野焼きによる草原の維持、畜産や稲作・畑作に結びついた草原の活用、生物の多様性や美しい景観を守る取り組みの3つが世界的にも注目され、2015年、世界農業遺産に認められた。
▼【公式】阿蘇世界農業遺産「阿蘇の草原の維持と持続的農業」はこちら。
https://aso-sekainogyoisan.com
― “循環型農業”と言うのは、この地域では一般的なんですか?
昔はけっこう多かったけど、今は時代の流れと共に、単作農業をやる方が増えましたね。と言うのも、単作でやった方が効率もいいし、経済的にもやりやすい。
― その中で、あえて循環型農業をやっている理由は?
実は僕もUターンで帰ってきた頃は、野菜だけやってればいいと思っていたんですけど。我が家では昔から親父が牛を飼うのが好きで、それ(米と野菜と畜産の循環型農業)をやるのが普通でした。
ただ、やっていくうちに徐々に、改めて昔からやってきたこのやり方は、阿蘇でやる農業として理に適っているなぁと思いました。
― 一度、外に出たからこそ気づけた視点なんですね。どんなところが“理に適っている”のですか?
“自分のところ(地域)で全てを賄える”という点ですかね。
うちも草原を持っていて、牛の放牧地としても活用しています。その草原で刈り取った草は、飼料にしたり、野草堆肥として使います。
そして、放牧していた牛を牛舎に連れて帰ってくると、今度は、有機物を確保して、田んぼや畑に堆肥として使う。
そこで農作物を収穫し、収穫後の田んぼで出た藁は、また牛に食べさせたり…という風に、草原や景観を維持することもできるし、環境にも優しいし、自然のサイクルで上手い具合に循環していく仕組みができています。
― ずっと昔から地域で自然にやってきたことが、気づいたら“循環型農業”だった、って感じですね。そして、その先にあったのは、2015年世界農業遺産に認定。すごいですね!
先人の方たちが今まで普通にやってきたことが、外からの評価を通じて、世界農業遺産に認定されたことが自分にとっても改めていい機会を得たと思っています。
景観を守りながら、ここにあるものを使いながら成り立つ農業。
この価値を自分たちが活かし、“ここでしかできないこと=よそでは真似できない農業”として、そこをきちんと価値にしていければ、有機農業、循環型農業の世界モデルの町として成り立つと思います。
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