【挑戦する人たち】阿蘇で「有機農業」を実践するこのお二人に対談していただきました!

こんにちは、未来づくり拠点MOGです。

南小国町での起業・くらしを徹底的に体感する2ヶ月間の研修プログラム「南小国町未来づくり起業塾」。今年度2回目の開催となった「起業塾」には、遠くは東京から参加者が集いました。

▼南小国未来づくり起業塾について
https://miraimogstaff.wixsite.com/kigyojuku2019

参加者の皆さんに、阿蘇地域で「挑戦する人たち」の生の声を聞いていただこうと、プログラムの一環で開催した対談。語り手は、阿蘇の農業分野でご活躍の、このお二人にお越しいただきました。

梅木 正一(うめき しょういち)
昭和34年生まれ。家業である農家を継ぐも、阿蘇の自然を求めてくる人たちにもっと南小国の良さを伝えたいと、「慣行栽培」から農薬不使用・無化学肥料・無除草栽培の「自然栽培」に転換し、平成2年に観光農園「あっぷるみんとハーブ農園」、自然食レストラン「風のもり」をオープン。「環境保全型農業」の実践者として、観光客だけでなく全国からの農業研修生も幅広く受け入れている。


(真ん中:佐藤智香さん)

佐藤 智香(さとう ちか)
2006年熊本工業高校インテリア科卒業。関西のデザイン学校で学んだ後、(株)STUDIO SIGNに入社。2012年に退社後、熊本・阿蘇へUターン。あっぷるみんとハーブ農園にて1年間の農業研修を経て新規就農。2014年、阿蘇さとう農園を設立。九州圏内のみで年間1万個売れる大ヒット商品「阿蘇タカナード」の生産・販売を行なっている。

MOG>
阿蘇・南小国町で有機農業を実践しておられる「あっぷるみんとハーブ農園」の梅木さんと、阿蘇市で高菜の種からマスタードをつくった”タカナード”を生産・販売されている「阿蘇さとう農園」の佐藤智香さん。

佐藤さんは、新規就農する前の1年間、梅木さんの元で研修生として農業のノウハウを学ばれましたね。師弟関係のお二人に、就農までの道のりや、今のスタイルについてお聞きしたいと思います。

梅木さん、佐藤さん、よろしくお願いいたします!

梅木さん>(以下、梅木)
よろしくお願いいたします。

佐藤さん>(以下、佐藤)
よろしくお願いいたします。

■Uターンのきっかけは?

MOG>
まずは、佐藤さんに伺います。関西の専門学校を卒業後、工業製品の設計やデザインを行うプロダクトデザイナーとして4年間勤務し、その後阿蘇にUターン。なぜ、会社を辞めてUターンを?

佐藤>
元々、おじいちゃんとおばあちゃんが農家で、ちょうど社会人4年目に東北の震災があって、その後すぐに九州北部豪雨災害がありました。うちは直接被害はなかったんですが、すぐ近くの地域が浸水して、故郷の阿蘇地方が大変だ、という声を数多く聞きました。そこで、私も色々物づくりが好きだったし、阿蘇も大好きだったので、帰って自分ができることがあるんじゃないかなと思って阿蘇に戻りました。

MOG>
その時は、農業をしようと思って戻ってきたのですか?

佐藤>
そうですね。うちの両親は専業農家ではなく、父が兼業で祖父母の田んぼを維持していこうとしていました。しかし、私が20歳の時に、父が他界してしまって継ぐ人がいなくなってしまったんです。そして、東北の震災、九州豪雨災害があって、自分に何ができるか模索していた時期に、「農業女子」という言葉が世の中に出てきていました。「山形ガールズ農場」という女性だけで農業をされている方々がいらっしゃって、そこに訪ねて行き、女性でもやり方次第で農業はできるのかなと思うようになって、阿蘇に戻る決心をしました。

■農業研修、そして起業へ

MOG>
そういった経緯があり、阿蘇へ戻り、農業をはじめようと思われたのですね。そして、梅木さんのところで1年間、農業研修をされました。研修先はどうやって決めたのですか?

佐藤>
まずは、分野が農業だったので、全然違う地域に行っても、気候や事情が違うので、家の近くの阿蘇で探しました。そして、有機農業をしてみたいと思っていた矢先、梅木さんのところで受け入れをされているのを知って、梅木さんのところにお願いしました。

MOG>
梅木さんのところでは、農業研修を随時受け入れているのですか?

梅木>
智香ちゃんで5人目です。その前はウーフや外国人の方なども受け入れました。現在は1人受け入れています。研修生はみんな状況も期間もバラバラですね。

MOG>
皆さんはどうやって農業研修の受け入れの募集を知るのですか?

梅木>
熊本県有機農業研究会が研修の仲介を斡旋しています。僕も会員なので、そこを通じて紹介してもらい、面接して決めています。

■「あっぷるみんとハーブ農園」のスタイル

MOG>
梅木さんのところは有機で作物を作られていますが、それらを加工品として出されていますし、レストランも経営されていますね。そういうスタイル(複合型)は、いわゆる「普通の農家」のスタイルなんですか?

梅木>
普通の農家は、トマトならトマト、きゅうりならきゅうりと、農作物を1種類だけ大規模に作って市場に出荷する。そして、農薬や化学肥料も使うのが一般的で、農家の8割くらいはこのスタイルですかね。その中で、農薬不使用や自然農法でつくったり、加工をしたりするのは10%以下だと言われています。現在、全国に約150万軒の農家がいますが、有機農業をしている人は1万軒もいない。比率で言うと全国で0.05%くらいです。それに加えて、加工品、レストランまでする農家は、非常に稀かもしれませんね。

MOG>
梅木さんのお人柄を見ていると、ご自身ではあまり「特別」と思っていない印象がありますが、どうして、ここまでやろうと思われたのですか?

梅木>
本当は普通の農家になりたかったんです(笑)。 何度か市場などに出荷したりしたけど、量がないとなかなかお金にならない現実がありました。さらに、(農機具は高価なので)農作業しながら、借金を一生返済し続けて終わるのではないかという思いと、市場に出荷しても、向こうが金額を決めるので、それが少ない金額でも諦めるしかありませんでした。そこから次第に、自分で作った農作物に自分で値段を付けたいと思うようになりました。

MOG>
そこで、どんなアクションをしたのですか?

梅木>
はじめは、黒川温泉の朝市に出したりしてみました。しかし、野菜は売れ残ったらそれで終わり。処分するしかなくなるんですね。そういう時に、(都会から来た)研修生などの若い子たちがクッキーとかパンとか作って一緒に出店していたのを見て、この子たちの方が短時間でお金を稼いでるなと思いました(笑)。

僕たちも加工品はやっていたけど、せいぜい饅頭作ったり、椎茸乾燥させたりするくらいでした。このままではダメだと思い、そういう若い人たちに習って、いきあたりばったりだったけど、僕もできるならやってみようと思って色々やってみました。有機農法もそのうちのひとつです。

なので、恥ずかしい話ですが、有機農法に使命感を持っていたとか、子どもが病気だったとか、そんなものではなかったです。

■農業からレストラン経営まで

MOG>
「観光農園」として、人が集ってくる仕組みはどのように考えられたのですか?

梅木>
南小国町は独特で、わりと起業する農家が多いです。農家をやりながら蕎麦屋とか。そして、そういう人たちは、決して道路ばたに店を作らない。蕎麦屋とか、すごい山奥につくったりします。若い人たちは、そういう所を好んでわざわざ探して来ますよね。

うちも、すごい山の中にポツンとあります(笑)。

道も悪かったし、こんなところ来るわけないじゃん?みたいなところにつくりました。当時、りんごの樹も植えていました。九州でりんごを植えるのは珍しかったので、遠方からも訪ねてくる人が増えていきました。

また、それと合わせてハーブも育てました。僕ははじめ全然ハーブのことがわからなかったけど、植えてみたら、わざわざ訪ねてきてくれる人がどんどん増えていき、逆にお客さんから色々教わりました。そして、「ここに来たらお腹が空く」と、お客さんからの要望もあってレストランもオープンしました。

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